3.11津波被災地の一年後

東京-『朋・アミーチ』は3月15日~18日、仙台市から、石巻町、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市、大船渡市、釜石市そして盛岡市に至るまで、去年3月11日の津波被災地を訪問する機会を得た。鉄骨だけを残した建物が二つ三つ、その他は一掃された広大な土地、瓦礫の山だけの風景。気仙沼市や釜石市など大きな港まちは、一見街並みを残しているかに思える場所もあるが、近づくと実は、殆どの建物の下の階は完全に破壊され、外形だけを残しているだけだと分かる。最後まで人々に避難を呼びかけ、自分は津波の犠牲になった事務員の職場であった防災対策庁舎の残骸(南三陸町)や、市職員が殆ど全員死亡の陸前高田市の市庁舎、など、多くの犠牲者を出した建物の正面には祭壇があり、千羽鶴やお花が供えてある。その様な建物の残骸と廃棄物の山がなければ、新しい造成地と見間違えるほど、殺風景な風景が、何百キロと続くのだ。高速道路と新幹線は別にして、津波によって切断された鉄道や海岸線時の道路の復旧はまだほど遠い。肉親を失ったり、泥水がここまで来たんですよ、と首の回りを指し示す被災者の方々に直接お話しを聞いた。計りしれない努力を続けている被災者の方々、様々な方面から助力を惜しまないヴォランティアの方々に直接触れることのできた筆者は、自分の無力さをひしひし感じた。また、2011年3月11日の大地震と大津波による被害を受けたこれらの市町村は、一年後の今、ここもまた福島原発事故の被災地だという思いを強くした。これだけ広大な被害にも拘らず、世界中の人々は福島のことしか頭にない。また、日本国内でも、大きな問題未解決の福島第一原発事故さえなければ、瓦礫の処理問題はなかった筈である。政府ももっと大きな経済的援助が出来た筈である。日本国民も総力を挙げて自然災害の被災地の復興に協力した筈である。手に入る情報をなるべく多くの人に伝える事、自然災害による被災地を忘れないこと、同時に、脱原発運動を続けることが、遠く離れた私達に出来ることだと改めて確信した。
(文責:和田千重) Per la pagina italiana ⇒