広島と長崎

島‐2013年9月
朋・アミーチは、広島平和記念資料館を見学した。1945年の広島長崎の核爆弾について記憶を新たにすることは、今後、核の問題を考えるために、それが平和利用であれ、軍事目的のためであれ、必要なことに違いない。
         
広島、長崎に投下された爆弾については、他の詳しいサイトに譲り、福島原発事故に関する小出裕章氏の説明と市川定夫氏の低線量内部被ばくに関する警告のヴィデオを紹介する。
福島原発事故2周年を迎えて 小出裕章
天然放射能と人工放射能は違う! 市川定夫

また、広島、長崎、教訓を忘れず、平和な世界の建設を訴える長崎市長の2013年8月9日の平和宣言を掲載する。

長崎平和宣言
 

        

祝島訪問記

祝島(2013年9月)-朋・アミーチは纐纈あや監督のドキュメンタリー映画祝(ほうり)の島(2010年作品)の舞台となった山口県上関町祝島を訪問した。祝島が属す上関町が誘致し、中国電力が建設しようとしている上関原発建設にこの島の住民たちは、30年以上にわたり反対し続けている。この映画のイタリア語字幕翻訳を会員が担当し、2012年のシチリア環境映画祭に出品して最優秀賞受賞に繋げた朋・アミーチにとって、この島の方々は身近な存在である。福島原発事故の影響で工事は一時中断されているものの、また書類上は「建設中」ではなく「予定地」のままではあるが、環境破壊と原発建設に反対する島民やその支援者たちへの締め付けは確実に進んでいると言うのが、イタリアまで伝わってきた情報であった。祝島島民はこのような状況の中でどんな暮らしをしているのだろう。柳井港から一日2本の定期船第二便で祝島に向かった。どれが何島なのかはわからないが、次々に現れる島の間をめぐりながらの航海だった。祝島港では、民宿くにひろの 國弘夫妻が出迎えてくれた。秀人さんの案内で民宿の裏にある小学校まで散歩したが、蚊の猛攻撃にあう。夕食の支度のある秀人さんを残して、港まで逆戻り。 えべすやに入って、おばあちゃんにお話を伺い、本を購入。蚊に刺さされた痒みを溢すと「我慢しなさい!」の一言。直立不動で「はいっ!」の返事が自然に口を突いて出た。夕食前、上関町議会議員であり上関原発を建てさせない祝島島民の会の代長、清水敏保さんが直面している問題を説明してくれた。 原発建設反対に限らず、市民の関与を排除する手段として使われるの『訴訟』。書類の上では予定海域に過ぎない田浦の埋め立て工事作業妨害という理由で、清水さんをはじめ四人が高額な損害賠償を求められているのだ。国弘さんも、 「正式には始まっていない工事の作業妨害?!」と反発。  右写真上をクリック⇒⇒⇒
しかし、漁業補償の問題も簡単ではない。祝島漁業組合は上関漁業組合の支部にしか過ぎなくなった。中部電力からの補償金を受け取ってしまった組合本部が祝島支部に圧力をかける。一方、福島漁業組合の内部でも、問題を抱えていると清水さんの顔が曇る。 ⇒ヴィデオ「清水さんへのインタヴュー
    

 國弘秀人さんは、Uターン組の一人、奥さんの優子さんと民宿くにひろを運営するほか、祝島からの情報発信も大きな仕事である。宿泊者の共有スペースには、祝島に関すグッズが販売されている。一緒に並べられている書籍類は祝島関係にとどまらず、原発や放射能に関する情報も豊富である。夜遅くまで祝島の将来について、熱いお話を伺った。翌朝、朝の祝島を散策。漁を終えた漁船が次々に入港してくる。一隻ごとに漁獲物の重さをはかり、停まった船の水槽に移しては出ていく。おそらく一番この町の賑やう 時間帯なのだろう。自転車で行き来する婦人、キャリーカートを押しているおばあさんなど、後ろ首まで保護する帽子をかぶっている。89歳と言うお婆さん と立ち話をしているときに、バイクに乗った漁師の民子さんがやってきた。映画で見た以上に日焼けしている。「あの子は、私たちの気持ちを、面白おかしく、でも、はっきりと言ってくれるんよ。」と民子さんの後姿を見ながら、お婆さんが付け加えた。70歳の民子さんを「あの子」や「タミちゃん」はないだろうと思ったが、そこに、民子さんへの優しさを聞いた。先ほどまで堤防に吊るされていたタコ足が、いつの間にか無くなっていた。おそらく、魚介類加工場のおばさんたちが、取り入れたのだろう。工場からは、女の人たちの話し声が聞こえ、のぞいてみたい衝動に駆られたが、そのまま離れた。喫茶店「わたや」で頂いた蚊よけ用のうちわとえべす屋で買ったお弁当と水のペットボトルをもって、平さんの棚田へ向かった。坂道が始まるところに、廃墟のような神社がある。原発建設の話が持ち上がった際に、当時の神主が積極的に賛成の立場を取ったので、島民の殆どが参拝しなくなったとのこと。4Kmの山道をゆっくりと歩いた。時々、畑の手入れをしている人や、カート車に出会う。ミカン畑、琵琶園は私にも見分けることができた。竹林が耕作地と交互する。山道の行き止まりに棚田が現れ、お昼休みの平さんがこちらを向いた。映画で見覚えのある家に上げてもらい、お弁当を食べながら平さんのお話を伺った。お爺さんにあたる亀次郎さんを語る時の万蔵さんの声に熱が帯びる。孫に向かって、自分が苦労して山を切り開き、石を積み、30年かけて作り上げたこの棚田も「お前の次の世代には元の原野に戻るだろう」と繰り返していたのだ。人間の営みには限度がある、いくら人間が修正を加えても大自然はいつかはそれを飲み込んでしまう。それを承知で、なおかつ開拓する、一時的に自然から借りる形で、、、。稲刈りを始めた平さんを残して町に降りる前に祖父亀次郎さんの歌を刻んだ石碑を写真に収めた。⇒ヴィデオ「稲刈り中の平さん
ガクガクになった足を休めるため再び「わたや」へ。朝とは違い、客でいっぱい。写真は撮らせてもらえなかったが、昔からの知り合いの様な雰囲気で会話が弾んだ。福島第一原発からの汚染水流出を「今日は暑いですね」と、同じ調子でおばちゃんたちは口にした。「本当に気の毒じゃね、東電も政府も嘘ついてばっかりだから、、、」 氏本農園を見たいと言うと、「氏本さんはこの時間には町に降りて来ていると思うけど、自転車を使うといい」と、おばちゃんたちが一人の漁師さんに私たちを自転車置き場まで送らせた。料金は後払いとのこと。海岸沿いに島の周りを進んだ。通り過ぎたのではと心配になり、畑仕事をしている人に尋ねたら、ちょうどそこから山側に入ったところが氏本農園だった。自転車を止めて、ゆるい坂道をあがった。豚さんたちを眺める。港に戻り、自転車を返してた後で料金所を探した。本土に戻るための定期船を待っていると、民宿で一緒だったトーマスさんが氏本さんと思われる人とやってきた。氏本さんに無断で農園に入ったことへの詫びを言い、短い時間ではあったがお話を伺うことができた。北海道から戻ってきた氏本さんも上関原発建設に積極的に反対している島民の一人。スローフード運動の活動家でもある。前日まで、東京からの研修大学生を受け入れていたそうだ。そう言えば、夕方、出会った青年たちから挨拶されたのを思い出した。下り定期船が到着。室津までの折り返しの便となる。上関町議会に出席した帰りの清水さんが下りてきた。挨拶して私たちは船に乗り込む。最後にえべす屋へ水のペットボトルを買いに行った時のお婆ちゃんの言葉「応援してね!」が頭から離れない。前の日と同様、直立不動で「はいっ!」と返事したものの、私たちにどんな応援ができるのだろう、、、。亀次郎さんは自分の開墾した棚田を指して「いずれは原野に戻る」と繰り返していた。「きれいな海は売り物ではない!」とは漁師さん達の決意である。自分を人類の歴史の中での一瞬の存在、大自然のほんの一部分にしか過ぎない卑小な存在であることを認識している悠大な思考体系の持ち主にしか吐けない言葉だ。しかし、大自然に委ねただけの受動的な生き方をしているわけでもない。祝島ならではの一工程を加えた海産物加工品、原産種の果物の栽培、有機農業、太陽発電などに積極的に取り組んでいる。祝島島民の未来を模索する強い姿勢を感じた。映画「祝(ほうり)の島」の纐纈あや監督は言う。「島の人たちはみんな、大自然の恵みの中で、ご先祖様やこれから生まれてくるであろう子や孫たちなど、命のつながりの中に自分たちがいることを感覚的に分かっている。だからこそ永遠に続く筈のこの美しい均衡を破壊する原発には、絶対に反対なのだ」と。しかし、高齢化と過疎化だけではな、巨大で巧妙な原発推進勢力を向こうに回しての道は決して平坦ではない筈だ。上り定期船の中で「応援してもらったのは、私の方だった」と悟った。あの人たちは、確かにほうりに違いない。
(文:和田千重)

首都圏防災ウィーク

東京(2013年9月1日)1923年9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9度の地震が神奈川県相模湾沖で発生し、神奈川県、東京都、千葉県、茨城県、静岡県と広範な地域に大きな被害を与えた。
毎年この日には関東大震災の犠牲者の慰霊祭が行われてきたが、この日が防災の日に決められてからは、「災害への備えを怠らないように」の戒めが込められた行事が行われるようになった。関東大震災の記念日としてだけではなく、例年8月31日あるいは9月1日は、台風襲来の可能性が高くなる二百十日にあたるからでもある。東京墨田区の都立横網公園では、毎年、関東大震災犠牲者の慰霊祭が行われているが、今年はちょうど90周年。木谷正道(朋・アミーチの友)は、主宰する「NPO 法人暮らしと耐震協議会」や、その外「公益財団法人東京都慰霊協会」、「公益社団法人全国市有物件災害共済会」「公益財団法人日本棋院」「NPO 法人東京いのちのポータルサイト」 「すみだ防災フォーラム実行委員会」「本棋院墨田支部」と 首都防災ウィーク実行委員会を結成し、今回の首都防災ウィークの実現となった。墨田区、東京都、内閣府などの後援を得て、慰霊コンサート、展示、討論会、防災囲碁まつり(634面打ち)など、市民を巻き込む充実したプログラム。朋・アミーチは協賛。メンバーの吉川高子、和田千重も参加した。
                      

福島わけわけ交流プロジェクト

福島-9月4日〜5日
わけわけ体操チャリティープロジェクト代表大石朝子さんの呼びかけに答えた福島県須賀川市にお住いの矢吹好充さん のコルディネートにより、朋・アミーチは一年以上前から預かっていたイタリアの子供たちからのメッセージを福島の子供たちに届ける役目を果たすことができた。わけわけ(分かち合う)体操とは、2011年3月11日の東北大震災をきっかけに新体操の選手仲間が協力して立ち上げた。子供と一緒に体を動かすことの楽しさを通じて「家族の幸せ」から「愛を分け合い」「平和を広げる」ための、チャリティプロジェクト。福島県の二つの小学校と二つの幼稚園にコーティングされたメッセージが贈られ、贈呈式の場でイタリアから帰国中の朋・アミーチの代表が「故郷」と「花は咲く」を独唱、わけわけ体操のメンバーが子供たちと一緒にわけわけ体操で動き回った。朋・アミーチは、思いもかけない交流の場所を作って下さった皆さんに心から感謝する。
⇒ヴィデオ「福島わけわけ交流プロジェクト」