《大和音》 ITINERA企画イヴェントに参加

トリノ市-2015年12月12日 大和音は、文化団体ITINERAの要請を受けて朋・アミーチが企画した「明治維新による日本音楽の変化」に参加した。この文化団体は現職及び元教育者が主になり結成され、子供から大人までの感性、認識力の問題を様々な観点から捉えようと取り組んでいる。 会場は、朋・アミーチ代表であるメッツォ・ソプラノの和田千重宅。まず、参加者は和菓子と煎茶の接待を受けた。イヴェントは、ITINERA 副会長のアンナマリーア・カープラの挨拶から始まった。第一部は江戸時代の音楽(謡曲、長唄、民謡〉をヴィデオで、和音階をピアノで聴くことになる。その後、特別出演のピアニストヴィート・マッジョリーノ氏が、西洋音楽の構造について説明し、その典型的な例として、カーロ・ミオ・ベン(長調の音階) とレスピーギ作曲の霧 (短調の音階)が氏のピアノとメッツォ・ソプラノの独唱によって披露された。明治政府はそれまでの日本音楽は階級社会をそのまま反映しているので、新たに国民全体の音楽を作り出そうと、若手の音楽家をヨーロッパに派遣する。そのうちの一人滝廉太郎が西洋の音楽技法で作曲した「荒城の月」は、レスピーギ作曲の「霧」と多くの共通点を持っているとサラ・アングレージオが説明。
二曲とも短調の曲であること、作曲家同士が同じ年の生まれ、土井晩翠とアダ・ネーグリは二人とも当時著名な詩人であり、一歳違い。そこで、まず「荒城の月」がアレッサンドロ・メッレの尺八により旋律のみ演奏された。続いて山田耕作作曲のピアノ伴奏付きで、現在、広く知られている形の「「荒城の月」が「大和音」によって演奏された。サラは、滝廉太郎、山田耕作等の世代の作曲家たちによって日本の新たな音楽が誕生したと解説して、大和音の音楽会に移行した。大和音は、まだ名前も決まっていなかった段階のものも含めると今回で出演3回目。レパートリーは、一貫して『日本人作曲の歌』 が唯一の条件。従って、歌曲もあれば、演歌、童謡、軍歌、ポップスとジャンルは問わない。 大和音の演奏中、テレビの画面に日本の映像が流されたが、餅つき風景の写真がイタリア人たちの興味を引いた。
  再びアンナマリーアの挨拶によって閉会。
一貫して、和やかで楽しい雰囲気のなかでのイヴェントになった。

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尚、朋・アミーチの運営委員の一人で会員制クラブ「ポデローザ」の管理者のアンドレーア・ヴィターリも出席していた。アンドレーアは、今年の3月12日に東北大震災、福島原発事故五周年記念にあたり、大和音の慰霊コンサートと朋・アミーチからの福島原発事故に関する情報提供の場所として、ポデローザを使用することを承認。
大和音はそのコンサートを目指して、更にレパートリーを広げる方針である。