日本文化祭「クオーレ・レヴァンテ」

ピネローロ市 – 2018年4月15日

クオーレ・レヴァンテ(高揚する心)と題される日本文化祭が4月15日、ピネローロ市で開催された。ソーレ・レヴァンテ(日が昇るの意味)とはイタリア語で日本を示す言葉の一つ。「太陽」を「心」に置き替えた名称。
      
この祭典は、ダニーロ・ファンファーノ氏夫妻が中心になって企画された。朋・アミーチはファンファーノ氏の盆栽の師であるパオロ・ジャイ氏の要請で協力することになり、ヤマト・オもこの祭典に参加した。盆栽、書道、折り紙、掛物 などの展示が並び、トリノ市内の和食レストラン「雅(みやび)」も出張営業。
      
      
パーフォマンスとしては、ヤマト・オのコンサートの他、書道、着物の着付け、柔道、居合道の演武などが披露された。
初めに予定されていた3月18日が天候不順のため延期を余儀なくされたイヴェントであったが、大勢の人々が参加して盛会のうちに終わった。

七年後の福島

トリノー2018年3月10日       Per pagina italiano
イヴェント「7年後のフクシマ」が、トリノ市内で《イナリ》と東アジア研究所《CeSAO》の共同企画により開かれました。ゲストは、2011年3月から2016年まで日本滞在のジャーナリスト、アレッシア・チェラントラさんと毎年、福島の子供たちを環境も食料も汚染されていないイタリアの地に夏季滞在させる活動しているヴォランティア団体《オルト・デイ・ソーニ》の田中基子さん。
福島原発事故7周年にあたり、福島集団告訴団の団長武藤類子さんからの海外に向けてのメッセージが朋・アミーチによってイタリア語に翻訳され、その一部が朗読されました。
会場には、夏目漱石、阿部公房、村上春樹の作品のイタリア語翻訳者として有名なアントニエッタ・パストーレさんの姿も見られました。パストレーㇾさんの小説「わが愛するゆり子」は広島の被爆者が主人公。福島原発事故の被災者と被爆者の苦しみを共通のものとして捉えている様でした。
オルト・デイ・ソーニの田中さんによると、福島の子供たちのイタリア保養を実現する活動よりも、希望する子供たちを集めることの方が難しいとのこと。福島の子供たちに保養が必要であるという前提を認めない学校の方が多いそうです。ウクライナやベラルーシでは、子供の夏季期間の保養が組織的に現在でも行われています。日本では、まだ事故から8年も経っていないのに、旧ソ連に比べて狭い国土にも拘らず、福島原発事故は遠い昔に終結したと見せかけようと躍起です。そういう厳しい状況にあって、イタリア人や日本人の若者によってオルト・デイ・ソーニのヴォランティア活動は支えられています。イナリでのイヴェントでは、着物や羽織の販売やカンパ活動が行われました。

尚、武藤類子さんのメッセージは日本語原文、イタリア語訳とも《朋の思い》のページに掲載されています。(武藤さんの2018年3.11メッセージの全文はこちらから⇒

あなたに投票します!

トリノ市‐2018年3月7日
国連の「核兵器禁止条約」発効へ向けて

核兵器及びすべての戦争とテロ行為に反対する市民と民間及び公共団体のピエモンテ州連絡会議のメンバーであるトリノ・センツァ・アトミカの企画により、「核兵器全廃のための展示会」が2018年1月17日から2月27日までトリノ市で開催されました。このセンツァ・アトミカは創価学会の会員により形成された平和団体で、国際創価学会は2017年のノーベル平和賞を受賞したICANのメンバーでもある。朋・アミーチも加盟しているこの会議は、カトリック教会や創価学会など宗教団体の他、政党や地方自治体も含まれ、思想や宗教の違いを超えて「核兵器の全廃」と言う一つの目的に向かって協力し合い活動を続けている。
この展示会の会場となったのは、イタリア近代史の中で大きな役割を果たした城塞跡であるトリノのチッタデッラ。古い立派な建物は現在ピエトロ・ミッカ博物館と軍事博物館との二つの博物館の他、フランス軍からの包囲跡も見学できる。今回の展示会の会場は、歴史的軍事博物館で行われた。朋・アミーチは開会式に出席し、初日に展示を見たが、展示方法、展示内容など全ての点で行き届いた配慮に敬服した。トリノ市、ピエモンテ州の地方自治体からの協力もあり、大勢の見学者を迎えて大成功に終わった。
      
      
一方この核兵器反対の連絡会議は2018年3月4日のイタリア総選挙に向けてキャンペーン「核兵器禁止条約のイタリア批准に向けて努力する候補者にだけ投票します」を開始した。このキャンペーンに賛同した候補者の名簿を作り公表。ピエモンテ州だけに限られてはいた上、一人も賛同候補者のいない政党もいくつかあったが、賛同者の数とその所属政党は予想を上まり、2月19日には賛同した候補を招待して記者会見を行った。イタリアには70基のアメリカ軍の核爆弾が配置されている事、イタリアは北大西洋条約(NATO)加盟国であることなど様々な問題が絡み合ってはいる。しかし、核兵器が通常兵器とは全く異なり、人類の存続か絶滅かまで関わっている事を全ての候補者が納得した。極端に言えば「戦争を肯定しても、核兵器は使ってはならない」ことを今後も前面に掲げることで意見が一致した。
記者会見の会場はこの連絡会議の重要な参加団体セレーノ・レッジスの本部。この団体はガンディーの非暴力主義に基づく平和団体で様々な活動を続けている。
同じくこの連絡会議のメンバーであるドンナ・イン・ネーラは毎月最後の金曜日に平和を訴えるプレシーディオを行っているが、2月末のプレシーディオには「核兵器禁止条約のイタリア批准に向けて努力する候補者にだけ投票します」のキャンペーンのため朋・アミーチも参加した。

総選挙の結果、このキャンペーンに賛同した候補者中上院下院合わせて10人が当選。
この連絡会議は、これらの議員たちの今後の活動をしっかり見守るつもりである。

海老原弁護士旭日中綬章を受賞

2018年2月 さいたま
平成29年(2017年)秋の叙勲で旭日中綬章を受賞した海老原夕美弁護士は、続いて「第13回さいたま輝き荻野吟子賞」を受賞し、2018年2月9日、埼玉県知事公館にて埼玉県知事から表彰状を授与されました。朋・アミーチとは結成以来の馴染みである海老原弁護士の授賞部門と理由は以下の通り。
1.きらきら輝き部門(1名)海老原夕美
授賞理由:
弁護士。埼玉弁護士会初の女性会長、日本弁護士連合会副会長、両性の平等に関する委員会委員長を歴任。弁護士登録以来、女性も男性もともに活き活きと暮らしていける社会をめざして活動してきた。DV被害者の支援に積極的に取り組み、DV防止法の制定を強く訴えた。その後も、代理人としてDV被害者の立場に寄り添った活動をしている。また、早くから子どもの権利の問題にも力を注ぎ、NPO法人「埼玉子どもを虐待から守る会」の会長として活動するほか、「子どもシェルター」の開設にも尽力した。》
朋・アミーチは、海老原弁護士の日本弁護士連合会副会長としての功績として、以下の点を特筆する。
《2013年第185回国会において成立し、平成25年12月11日に公布・施行された東日本大震災における原子力発電所の事故により生じた原子力損害に係る早期かつ確実な賠償を実現するための措置及び当該原子力損害に係る賠償請求権の消滅時効等の特例に関する法律(原賠時効特例法)は、日本弁護士連合会の強力な示唆によって実現したものです。この法令が出来る前までは、事故などによる損害賠償請求は、民法で損害及び加害者を知ったときから3年の時効が定められていました。原賠時効特例法において、福島原発事故に関する原子力損害賠償請求権の消滅時効期間は「10年間」となり、その他にも、被害者側の立場が向上されました。》
朋・アミーチは、海老原夕美弁護士の益々のご活躍をお祈りします。

核兵器禁止条約への締結に向けて

トリノ-2017年11月29日
朋・アミーチは2016年に開催した広島長崎原爆写真展をきっかけに、世界平和のためには全面的な核兵器禁止条約が必要であることを切実に感じる。原爆写真展の開催を可能にした広島の平和首長会議の呼びかけに従って、朋・アミーチも核兵器禁止条約締結への請願書の署名活動に参加した。2017年1月にもトリノの郊外の町カザルボルゴーネのホロコースト犠牲者を想起する週間に同じ写真展を開催。
一方、2017年5月にトリノ市を州都とするピエモンテ州の市民団体、平和団体、トリノ市、ピエモンテ州などの地方自治体等70団体が「核兵器とすべての戦争とテロリズムに反対する連絡会議」を結成。

2017年7月7日、国連は、今年3月から進められていた話し合いの結果「核兵器禁止条約」を122国の賛成で採択した。話し合いに参加した国は124ヶ国、国連加盟国のうち三分の二が参加し採択した条約である。しかし米、露、中、英、仏やインド、パキスタン、イスラエルなどの核保有国は話し合いにも採択決議にも参加しなかった。1963年に採択、1970年に発効となった核兵器拡散防止条約では、核保有国でもあり国連の常任理事国でもある米、露、中、英、仏の核保有は容認し、それ以外の国の核保有を禁じている。しかし、核兵器による人類滅亡の危機から逃れるためには、核兵器全廃しか手段はなく、核兵器拡散防止条約は核兵器全廃への動きには繋がらないどころか、逆に危機を増大する結果を招いた。イタリアは北大西洋条約の加盟国。同盟国のアメリカ、フランス、イギリスと全く同じ行動をとる。日本は唯一の被爆国であるにもかかわらず、イタリアと同様にこの条約へのボイコットを続けた。
   

      7月7日の「核兵器禁止条約」採択後、この平和への連絡会議は「イタリアよ、考え直せ! 国連採択の核兵器禁止条約に調印せよ!」をスローガンに呼びかけ運動を始めた。このスローガンが書かれた垂れ幕がトリノ市庁舎の表玄関に掲げられる。
朋・アミーチは、この会議の結成時からの団体の一つ、ヒューマン・ハウスが毎年行っている「広島長崎の原爆犠牲者の追悼の夕べ」に初めて参加し、会長の和田千重が原爆鎮魂歌「あの風の記憶」を独唱。原爆禁止条約採択後の「被団協」の声明をイタリア語に翻訳し、読み上げた。それがきっかけで連絡会議にも加わることになり、それ以後の連絡会議企画のイヴェントには必ず参加することになる。
      
      
核兵器の全面的廃絶のための国際デーである9月26日には、トリノ市の宮城広場で「イタリアよ、国連の核兵器禁止条約に調印せよ!」をスローガンにプレシーディオを企画。代表グループがトリノ県庁にスローガンと同様の内容の要請書を届けた。
10月6日に2017年ノーベル平和賞が「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に決まったと発表される。このニュースは連絡会議のメンバー全員の士気高揚に役立った。
      
翌月の29日には、イタリア・ICANの代表であるフランチェスコ・ヴィニャルカ氏を招いて講演会が企画開催された。連絡会議の加盟団体であるトリノ市の庁舎のサラ・デッレ・コロンネで、副知事が議長として開催された。ICANの活動が説明され、核兵器禁止条約の発効がいかに大切であるかが強調された。また、この連絡会議のメンバーでもあり、ICANの加盟団体でもある国際創価学会のイタリア支部センツァ・アトミカが《非核武装のための展示会》を来年トリノ市で開催する予定であることが発表された。この連絡会議は、その成功に向けての支援を惜しまないことを確認した。朋・アミーチもその方針である。

折り紙教室

トリノ-10月20日~11月17日
トリノ市隣接のモンカリエーリ市で五回に渡る折り紙教室が開かれた。
朋・アミーチが、折り紙教室を開いたのは、結成の年2011年12月以来、約六年ぶり。2011年の講習は私立小学校の夏季課外活動としてやトリノのレジーナ・マルゲリータ小児科病院関係者向けと子供たちが対象だったが、今回の参加者の年齢層は高い。Auser(活動的な老後のためのヴォランティア協会)モンカリエーレ支部が一般市民にも参加を呼び掛けての講習会ではあったが、結局、五回のうち一度でも参加したのは、この協会のメンバー八人に留まった。確かに平日の午後の講習会に参加できるのは、退職した高年齢層に限られるのは当然かもしれない。questo articolo in italiano ⇒
                    講習指導者は朋・アミーチ会長の和田千重。《平和のための千羽鶴》と題したこの講習会で、参加者全員で鶴を千羽折ることを目指していた会長の思惑は第一日目に崩れ去った。五回の講習会で1000羽折るためには、毎回200羽が必要。ところが初回二時間の授業で鶴を折れるようになった人はたった一人だけ。鶴を千羽折ることをすぐに諦め、千羽鶴の持つ意味の説明をしたが、核兵器使用の危機が迫る昨今、ヒバクシャ国際署名には全員が即応じてくれた。
                    折紙に関してだけ言えば、初めは全く絶望的だったが、会を進めるごとに熱心な参加者も現れ、最終的には成功したと言える。
また、この種の講座は、そこで習う事が出来るようになるのが目的ではなく、参加者同士の交友の方がより大事であることを理解した。
将来、この団体との協力により、ヤマト・オの音楽会やドキュメンタリー映画「祝(ほうり)の島」の上映会が実現できるかも知れない。そういう希望の持てる折り紙今日教室だった。

合気道と墨文化

トリノ県ー2017年6月
6月2日~4日、イタリア合気道界を代表するドメニコ・ズッコ七段の合気道講習会と並行して、墨絵の入門講座が開かれた。講師は、東京在住の美術家の福田瑞枝さん。会場は、カザルボルゴーネのアトス。また、アレッサンドロ・メッレが主宰する合気道場「無為自然」では、朋・アミーチの和田茶柳による書道一日体験会が開かれた。
福田さんは三種類の竹(お天気の良い日の竹、雨の下の竹、風に吹かれる竹)を素材とするレッスンを始めた。
最初にぶつかった問題は、筆の持ち方。日本人なら何気なくできる持ち方が、イタリア人にとっては、全く新しい体験なのだ。その次は、素材となる「竹」がどういう形をしているのか殆どのイタリア人には理解できない。幸い、アトスには竹林があり、そこから一本の竹が持ち込まれた。墨絵の特徴は、墨の黒一色だけで表現することと、描き直しがきかないという点に集約できる。一度の筆使いにより、墨の濃淡、筆づかいの勢いの強弱、そこから生じるぼかし、にじみ、かすれを使って描かれる。どうしても、イタリア人はこの緊張感に慣れていず、一度描いた線の上から付け加えたり、なぞったり、これまでに覚えた手法から離れられない様子だった。       Questo articolo in italiano ⇒
                   
一方、書道体験講座を始める前に、茶柳はあくまでも「習字」であることを強調した。
つまり、書道が絵画と違う点は、まず、文字を書くことが書道の出発点である事。そして、その日のレッスンも一、二、三、十、などの簡単な漢字を書くことから始まった。
ここでも、墨絵講座と同様な困難にぶつかった。筆の持ち方は勿論、漢字そのものを見たことがないイタリア人が殆どなので、どのように書かれた字が美しいか美しくないかの基準を持っていない。お手本の一を見て、起筆の三角形の部分は、ただ筆のおき方からできるものであることを理解しない所為か、形として描こうとしてしまう。トメも払いも筆づかいではなく形としてしか捉えない。こうした中、「木」「日」などのより複雑な漢字へと移行する間もなく、受講者たちはすぐに「合気道」を書きたいと主張し、何人かはこの「合気道」に挑戦した。その結果は写真の通り。
ところで、合気道道場に通っているイタリア人たちが、どうして日本の墨文化に興味を持つのだろうか。単に日本文化の部門だから、、、。 もしかしたら、合気道の中に墨絵や書道に共通することがあるのではないだろうか。

                   
合気道の特徴は、勝敗がないことである。つまり、一回のパフォーマンスにやり直しがきかない。勝敗のある競技では、いつでも形勢を挽回することが出来る。最後に勝てば、それは良しとされる。ところが合気道の場合、初めから終わりまで一貫した美しい流れを保つ必要があり、そのために必要な集中力と筆を入れて紙から離すまでの緊張感に共通性があるのではないかと思う。この「一回だけしか許されない美しさ」は、音楽の演奏にも通じるかも知れない。
弓道5段の所持者でもある福田さんは、弓道は的当ての競技ではなく、合気道と同様勝負がない。的に命中することのみを狙う人は、技にそれが影響して美しさの喪失に繋がる、と言う。確かに、合気道にせよ弓道にせよ、arte marziale (武道)と呼ばれる以上、「美」が関係するのは当然かもしれない。(和田千重)