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朋・アミーチからのお知らせ
トリノ市 ‐ 2017年3月12日
東北大震災の6周年イヴェントとして、大和音(ヤマト・オ)のチェリティーコンサートを企画しました。収益金は全額、中部イタリアの地震被災地アマトリーチェの図書館へ寄付されました。
詳しいことはこちらから⇒


カザルボルゴーネ – 2017年1月22日~30日
広島長崎原爆写真展がトリノ県の町カザルボルゴーネのサン・カルロ劇場で開催された。ラ・ポデローザでの写真展と同じ形で初日イヴェントが開催され、ヤマト・オが参加した。詳細はこちらから⇒
2017年1月メアーナ・ディ・スーザにある「ダル・ガッロ・セバスティアーノ」図書館にも渋谷秀雄氏の写真集〈未来へ-アジア太平洋戦争学習ノート〉が、寄贈された。朋・アミーチは、図書館を所有する同じ名前の文化団体「ダル・ガッロ・セバスティアーノ」と協力して、トリノ市とカザールボルゴーネ町の二か所で《広島長崎原爆写真展》を開催した。写真展も写真集も平和への願いが込められている。既にこの写真集は、トリノ市立の18か所の図書館に既に所蔵されているが、去年6月にもローマ近郊のラディスポリ市立「ペッピーノ・インパスタート」図書館にも寄贈された。5万冊の書籍を有するこの図書館の館長マリーナ・パヌンツィさんは、「映像に留められた悲惨な記憶は、言語の違いを超えて訴える力を持っている。二度とこの悲劇を繰り返さないために、この写真集は貴重な役割を持っている」と語っている。
トリノ – 2016年11月19日~12月13日 「広島長崎原爆写真展」がトリノ市内の会員制集会所ラ・ポデローザで開催された。日本の「平和首長会議」 広島平和資料館 から提供された30枚のパネルと二本のヴィデオからなる写真展は、トリノ近郊のメアーナ・ディ・スーザ町にある文化団体ダル・ガッロ・セバスティアーノを通して提案された。 朋・アミーチは、去る10月27日に国連の軍縮委員会で核兵器禁止条約の締結に向けて2017年から交渉入りという決議が採択されたこのタイミングを重要視しこの展示会の開催に積極的に協力。初日イヴァントを企画しただけではなく、ヤマト・オもイヴェントに参加した。   詳しくはこちらから⇒
トリノ – 2016年10月15日 朋・アミーチは盆栽及び下草作家のパオロ・ジャイさん宅をお邪魔した。作品の数々を見せて頂いただけではなく、その日のレッスンにも参加することが出来、有意義な一日になった。 詳細はこちらから⇒ イタリアの盆栽


2016年8月30日
中国電力が、上関原発を建てさせない祝島島民の会の代長、清水敏保さん等四人の市民を相手取って起こした損害賠償請求の裁判が和解に達した。2009年11月、原発予定地の上関町長島の田浦の埋め立て工事の準備作業を被告四人が妨害し、中電は多大な経済的損害を被ったとして、3千9百万円を請求していた。被告側は、市民運動を押さえつけるためのスラップ裁判であると主張。6年8か月にも及んだこの裁判は、中電側が損害賠償を請求していた全額を取り下げる等、被告側は勝利的和解と評価している。詳しくはこちらから⇒
2016年7月14日 合気道の仲間から誕生した音楽グループ大和音(ヤマト・オ) は一年余りの活動の後、合気道界最高峰の多田宏先生九段の前で演奏するという機会に恵まれた。 スペツィア市内で開かれた多田師範の「気の錬磨」の講習中の交友会の場での演奏。
詳細はこちらから⇒

2016年8月16日 既に掲載済みであるアレッサンドロ・マッジョリーノの「日本滞在日記」の本人による朗読に映像を付けたヴィデオが完成した。映像を損なうだけではなく、日本人には説明不要の事項が多いため、日本語の字幕は省略した。
映像に沿ったヴィデオの翻訳文はこちらから⇒
Diario di un Viaggiatore in Giappone – 日本滞在日記

ヤマト・オ、アマトリーチェ応援コンサート

トリノ市ー2017年3月12日
日伊の架橋ー朋・アミーチは、2011年3月の東北大震災、福島原発事故をきっかけに、脱原発、世界の平和のために少しでも貢献したいと望む日本人とイタリア人の有志によって結成された。同時に日伊間の文化交流活動にも力を注いできたが、当団体の発端となったこの時期には、毎年、東北大震災を忘れないためや、脱原発への向けてのイヴェントを企画してきた。今年は、視点を逆にしてイタリア中部で起こった地震の被災地への復興のお手伝いとしてヤマト・オによるチャリティーコンサートを企画した。トリノ市とトリノ市圏の管轄である公共団体チェッキ・ポイントの協力のおかげで、3月12日にイヴェント ”ヤマト・オ イン コンチェルト” が実現した。
                    
収益金は、アマトリーチェの公立図書館にすべて寄付された。ヤマト・オのプログラムはすべて日本の曲から構成され、コンサートの前半の後、ドキュメンタリー映画「祝(ほうり)の島」の纐纈あや監督のメッセージヴィデオが流された。実はこの映画も朋・アミーチ結成の動機の一つ。字幕用のイタリア語翻訳とイタリアへの紹介を担当して、2012年シチリア環境映画祭で最優秀賞を受賞に至った。映画祭参加が決まった時の纐纈監督のメッセージに映像を付けた紹介ヴィデオである。5月17日に同じ会場での上映が決まったのでその宣伝のつもりで流したヴィデオだったが、5分の上映の後には観客席から拍手が起こった。纐纈監督の言葉とそれを証明する祝島島民の方々の真摯な姿が率直に伝わったのであろう。コンサート後半も、演歌、日本歌曲、民謡、童謡、和製ポップス、ロックとジャンルを超えてのプログラム。演奏者、聴衆、チェッキ・ポイントのスタッフが一体となり成功したイヴェントになった。
                    

ホロコースト犠牲者を想起する週間

カザルボルゴーネ – 2017年1月22日~1月30日   ⇒ L’articolo in Italiano
アウシュビッツ強制収容所は1945年1月27日に開放され、国連は2005年この日を「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」と制定し、ヨーロッパ各地でナチ・ファッシストの犠牲になった人々を追悼する行事や若い世代に戦争の悲惨さを伝える行事が行われる。トリノ市近郊の町カザルボルゴーネでは、同じく第二次世界大戦が起こした原爆の悲劇を市民に伝える写真展が開かれた。
             初日の1月22日は、ポデローザでと同じ開会イヴェントが繰り返されたが、朋・アミーチは、ポデローザの閉会イヴェントでのモスカ教授の講演内容をヴィデオにまとめ、それを平和首長会議から提供されたヴィデオ「ピカ・ドン」と「広島ー母親たちの祈りに続いて上映した。
                    
写真展示は1月30日まで延長され、教師に引率された中学生 も来場した。
大和音(ヤマト・オ)の音楽会を挿入したのは、なるべく数多くの人にこの写真展を見てほしいというカザルボルゴーネの町役場と朋・アミーチの願いから。
音楽会の模様はこちらから⇒
又、カルル・ブルックナーの小説「さだ子は生きる」の最終部分が地元の有志によって朗読された。「広島長崎の原爆投下」というテーマでで人々の関心を惹くのは難しい。しかし、来場した人々には、このような企画は決してただ過去の記憶を留めるためのものではなく、現実に核の脅威が迫っていることが認識された筈である。イヴェントへの参加者全員が核兵器禁止条約締結への要請書に署名していたことからも伺える。
      
2016年10月27日国連で、2017年3月から核兵器禁止条約締結に向けての交渉を始めることが、415ヶ国賛成、124国ヶ反対、74ヶ国棄権で決議された。しかし唯一の被爆国である日本も、イタリアもその決議に反対票を投じたのだ。賛成国が国連で占める割合は76%、ともかく交渉は開始されるのだ。核絶滅に繋げるためには世界中の人々の後押しは不可欠であろう。市民の意識を高めるためにも、この写真展がなるべく多くの場所で開かれることを期待する。尚、平和首長会議は、署名活動を続けている。   オンライン署名はこちらから ⇒

広島長崎原爆写真展

トリノ-11月19日~12月13日              ⇒L’articolo in italiano

「広島長崎原爆写真展」がトリノ市内の会員制集会所ラ・ポデローザで開催された。資料を持ち込みこの写真展の開催を提案したのは、トリノ近郊の町(メアーナ・ディ・スーザ)にある文化団体ダル・ガッロ・セバスティアーノ。 この団体は同名称の図書館も運営している。ダル・ガッロ・セバスティアーノ」とは第二次世界大戦中に反ファッシズムに生きた女性パルチザン、アーダ・ゴベッティの童話のタイトルで「雄鶏のセバスティアーノのお家で」の意味。
30枚のパネル写真と2本のヴィデオ及び「核兵器禁止条約の締結を求める」署名用紙は、日本の
「平和首長会議」 広島平和資料館 から提供されたもの。この平和首長会議の運動は世界にも広がり、イタリアでも数多くの市町村が加盟している。朋・アミーチも2013年4月の平和イヴェントで直接加盟市長の一人にインタヴューをし、この組織の存在を知っていた。
      
一方、10月27日、国連の軍縮委員会で核兵器禁止条約の締結に向けて2017年から交渉入りという決議が123か国の賛成で採択された。ところが、唯一の被爆国日本は反対に回り、ナトの加盟国イタリアもアメリカに同調して反対を表明。ラ・ポデローザも朋・アミーチもこのタイミングを重要視し、写真展の開催へ向け短期間に準備完了。朋・アミーチは資料を追加し、音楽グループ大和音(ヤマト・オ) を動員して、11月19日にはポデローザで写真展開催イヴェントが行われた。   開会式風景⇒⇒⇒

展示会開催イヴェントは、朋・アミーチのサラ・アングレージオの司会で進められ、最初に広島原爆投下の一日をアニメーションで描いたヴィデオ≪ピカ・ドン≫、続いて歴史的映像で綴られた≪広島-母親たちの祈り≫が上映された。このドキュメンタリーヴィデオによって、原爆投下から1980年代までの核爆弾及び核兵器実験による被害状況、核兵器反対運動への盛り上がり等が説明されたが、目をそむけたくなるほどの残酷さと悲惨さが映し出され、参加者に大きな衝撃を与えた。朋・アミーチ制作のヴィデオ「今、、、」は、広島長崎とヴィデオ「広島-母親たちの祈り」中で語られた第五福竜丸の現在の姿を映した。表面的な傷跡は消えてはいても、この企画は単に過去を偲ぶためのものではなく、現在の問題として提起された。ヤマト・オの演奏も将来に向けた「平和への希望の光」として参加者に受け止められたようだ。
カール・ブルックナー著「サダコ」からの最終部分抜粋〈伊語〉の朗読と「核兵器禁止条約の締結を求める」アピールが読み上げられ、参加者はそのアピールに応じていた。*同じ内容のオンライン署名はこちらから
核兵器禁止条約を締結して下さい!
12月13日の最終日には、環境保護活動家のマーリオ・アゴスティネッリ氏とフランス核兵器ストップ会議 の会長、モダンヌの素粒子物理学研究所の元所長である物理学者のルイージ・モスカ氏を招き「核惨事の危険から世界が助かる方法」と題されたイヴェントが行われた。
講演及び話し合いは、ポデローザと朋・アミーチの双方に属す、フランチェスコ・スティッリターノの司会によって進められた。モスカ教授は、核戦争の勃発の可能性は非常に高く、今回の写真展は、過去の核爆弾による悲劇を忘れないためのものではなく、現実に起こり得る危険性を認識するためだと力説した。世界に存在する核兵器は、広島に投下された核爆弾の50万倍の破壊力を持つ。教授は資料を示しながら、国連における核兵器全面禁止条約の締結が、人類が核の危険から逃れる道へのまず第一歩であることと、そのためには世論の後押しが不可欠であると訴える。●生物兵器禁止条約(1982年) ●化学兵器禁止条約(1993年) ●対人地雷禁止条約(1997年) ●クラスター爆弾禁止条約(2008年)は既に締結されているが、核兵器は、他のどの兵器も到底及ばない破壊力を有している。 *モスカ教授の資料はこちらから見られます。⇒▼Come tirar fuori il mondo dal rischio di … (PDF)
Come tirar fuori il mondo dal rischio di una catastrofe nucleare (ヴィデオ)
                    
核の民間利用に関しての専門家であるアゴスティネッリ氏は、核の軍事利用と民間利用が切り離せない関係にあることを強調。また、平和の敵である
「恐怖感」に言及した。恐怖感が人々を様々な段階で武装させ、核抑止論にまで拡大する。しかし、軍事によって保たれる平和は、「事故」「ミス」「狂気」のいずれかによって、簡単に壊される可能性を秘めている。
核の危険から逃れるためには、全面的な核兵器全廃、全ての原発の廃炉しかない。また、核兵器禁止条約が締結され、世界中の原発が全て運転を停止したとしても、全原子炉の廃炉作業、15.395発の核爆弾の解体、そこから生じる、あるいはこれまでに蓄積されてきた放射性廃棄物の処理のためには、次に来る何世代もの歳月が必要なのだ。既にその課題を押し付けてしまった。
感覚・感情に訴えた開会式、理性に訴えた閉会式イヴェントであったが、どちらも核絶滅を目指さない限り、人類の未来はない、と言うメッセージが強く発信された。

また、これらのイヴェント参加者を通じて、他の町で次の展示会が開催する運びとなった。
また、ヴォランティアで運営されている
ダル・ガッロ・セバスティアーノ図書館に渋谷秀雄氏の写真集「未来へ」 の寄贈された。